はち切れそうである。
何がって私のおなかが。

もうぱつぱつのぱんぱんで
歩くとふうふうぜいぜい。

母さん、お相撲さんみたいだね?
というと龍はげらげらと笑って、
もういっかいいって?という。
龍の笑顔が見たくて
また同じことをいう。私。

もしいま私がいなくなったら。
龍は私を忘れてしまうのかな。
それともすこしは憶えているのだろうか。

憶えている、そのことは。
龍をかなしませるのかな。
それともあたたかい気持ちになるの?いつか?

私には4歳の記憶は断片的にある。
うれしかったこと。
かなしかったこと。
たのしかったこと。
ほんとうはこうしたかった、というような
思いも、憶えていたりする。

夫は小学校にあがるくらいからしか
記憶がないという。

いま龍は4歳だ。

私がもしも突然いなくなったら。

そんなことは絶対にないよ、
とは、だれにだってなににだっていえないわけで。

だから考えて決めておきたいことがあった。

それは龍(と、産まれてくる子)を
誰が育てるのかということ。

本来は迷うことなく
子どもの父親である夫であろう。

でも夫は稼ぎ手という役割の親は得意だが、
子育てをするという役割の親も同時にできるか、というと
それには懸念がある。

もし本当にそういう状況がきたら
私の懸念をまったく吹き飛ばして
素晴らしい父親、に、なるかも知れないのだけれども。

ただやはり少なくともいまの私には
たとえば幼稚園に送り迎えをし
ごはんを作り食べさせ
そのために仕事をセーブする夫は
想像できない。
一時的にはできたとしても
いつか夫も子どもも苦しくなる気がする。

そんなことを。
龍が産まれてすこししてから
ではどうしたら?と考えはじめ。
私のなかで出た結論が、
京都の夫の兄一家に子どもを託す、ということである。
兄夫婦には既に二人の子どもがいるけれども。
兄夫婦なら夫と私の子どもも育ててくれる。
そんな気がとてもする。
自分たちの子としてでも良いし、
あくまで弟夫婦の子としてでも良い。
ただ私のたいせつな子どもを
きっとたいせつに育ててくれる。

本来は夫に話してから、というのが筋かも知れないのだけれども。
先日、私の気持ち…万が一のときは、
子どもを託したいということを
夫の兄の奥さんに話した。

夫の兄の奥さんは。
やはり二人目の出産の前に同じように不安を抱いたことを話してくれ
そうして予想どおり、私の願いを聞き入れてくれた。

ナオさんの気持ち、ちゃんと受け止めて
子どもを守ります

そういって。

もちろん無事であることを
祈りつつ、だけれども。

そうして今日。
夫にあらためてきちんと話をする。

ずうっと前から考えてきたこと。
そうしてでもその前に。
夫はどうしたいのかということ。

夫は。
自分でやれるところまで
自分で子どもを育てる。

と。
私の予想にまったく反する
夫自身の考えを話してくれた。

夫の兄の奥さんと私の密約を。
夫はことばは悪いけれども
渡りに船的に捉えると
てっきり思っていたのに。

もしかしたら夫は。
私が感じている、よりも。ずうっと。
子どもの父親なのだろうか?

そう思ったら。
とてもうれしかった。
じんわりと。

たいせつなことを話せてよかった。
そうして一時の感情にだけ流されずに
子どもにとって
そうしてもちろん夫自身にとっての
最良の選択をしてくれるであろう夫に
たくさんの感謝を。

私はこれで安心して
また産むことに向き合える。
そう思う。

そうしてふたたび思う。

いま私の横で眠るかわいい子よ。
龍。
龍は母さんを憶えていてくれるのかな。
でも龍にとっては
憶えていないほうがしあわせなのだろうか。

だったらいつだって。
よりしあわせなほうを選んでほしい。

かわいい子よ。
母さんはいつも。
そんなことを思う。